気功と個性
- horiuchiclinic
- 2019年8月1日
- 読了時間: 2分
愛読書に宮本武蔵の「五輪の書」があります。随分と殺伐とした文章も出てきますが、感じることの一つが武蔵という人は個性を重んじる人だったんだろうなということです。基本はあるのですが、武蔵の弟子たちはそれぞれが一人一人バラバラな戦い方をしたと思います。武蔵と似た人もいれば似ても似つかぬ戦い方の人もいたと思いますが、武蔵はそれを良い当然としていたのでしょう。
気功もそれと似たところがあります。武蔵と同じで、基本はする人が出来るだけ遠回りや無駄をしないで済む様に痛い目に合わない様に習いますが、後はその人の個性、気づきです。
わたしの場合は気功治療と鍛練的な気功が好きですし、それが合っていると思っていますのでその2本立ての私なりの気功です。
長い間、受付と事務をしてくれている相良さんも気功治療ができます。でも家族や気になった人以外殆どしません。相良さん的な気功治療です。彼女は気功を趣味の絵画などに生かしています(抽象画で私には良く分かりませんが面白いです。あちこちでよく賞をもらってます。)以前のブログにも書いたと思いますが、よみうり神戸文化センターで気功講座をしていた時、急に相良さんに教室の人達に気を送ってと言ってしまったことがあります。私も彼女の気をまともに受けたのは初めてだったのですが、大地的というか母性的というか相良さんに気功を教えた?伝授した?こちらのほうがビックリしてしまいました。
気功治療に通ってくださっていて、やはり相良さんの気を初めて受けた女性の方が「相良さんの気、女性だからか軟らかく感じた。それに比べると先生の気は固く感じる。」とおっしやっていたのも印象的でした。
私たちは気によって構成されている存在ですが、一人一人が個性的に構成されています。同じ人は一人もいません。そういう存在が気を一つの手段アイテムとして、私たちそれぞれまた他者の心身生活人生を向上させるために活用するのが気功ですから、百人百様の気功があって当然です。
気功研究会で御一緒に気功を学んでいる方達も、自信をもって気功を学んでくださいね、学んで行きましょう。
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