「どうして治療院を始めたの?」①
- horiuchiclinic
- 2019年12月17日
- 読了時間: 5分
更新日:2021年1月3日

前回のブログに、過去の事はあまり振り返らない様にしていると書いたのですが、今度は「どうして治療院を始めたの?」と聞かれてしまい、「うーん、そうだね、話せば長いことながら・・。」みたいな事になってしまいました。
過去の事を振り返ってみる時期なのかなあ?・・・治療院を始めた理由、現在治療家でいる理由を思い返してみるべきなのかな?と思いました(また昔からの話で、う~ん)。
私が小学生だった頃、映画の時代劇(チャンバラ映画?)が全盛でした。私も大好きで、父に連れられてよく見に行きました。映画の中の切り合いも面白かったのですが、侍が「当身」で人を倒すのに興味を持ちました。無邪気だったというか子供だったというか、剣道を習うとあんな風になれるんだと思い、中学に入学すると剣道部に入りました。
映画とのあまりの違いに、「へええ?・・。」という感じになりましたが、剣道は高校卒業まで続けました。
映画の中の「当身」ですが、人の体の中には急所と呼ばれる部分が沢山あって、それはツボとも呼ばれて人を倒すときにも治す時にも使えるという事、「武医同源」という言葉もある、またお医者さんとは違った方法で人を治したり元気にしたりする方法もあるんだという事もその頃読んだ本で知りました。またそれは、何科(呼吸器系や消化器系など)といった区別のあまりない方法なのも、不思議というか面白いと感じました。
現在も一般向けの健康法や治療法の本は多いですが、当時はそういった本以外に、インド人が著者の写真入りのヨガの本や仙術の本、昔の日本の健康法や治療法の本(今思うと、名称は違いますが日本式の”気功法”です)などが本屋さんのあまり目立たない所に置いてありました。
小遣いは余りなかったので、これと思った本だけ買って、あとは立ち読みで随分読みました(本屋さん、申し訳ない)。
読書は好きで、前述の様な治療関係の本以外にも、文学作品から何からいろいろな本を読んでいました。学校の休憩時間に、青春文学のようなものを読んでいたら、クラスの女の子にニヤニヤされながら「ほりうち君、そういうの好きなの?」と言われたり、たまたま父親のそばで読書をしていた時、その本を見た父親に「それエロ小説だよ。」と言われて,「えーっ?!」となってしまった事もありました。
高校に入学してから、仲の良かった友達が空手を始めました。そのころ読んだ本やテレビでは空手は悪役だったのですが、私には悪役の空手使いの方が魅力的でした。
受験浪人をしていた時、親に内緒で町の空手道場に通いました。いつもある時間になるといなくなってしまうので、親は「あいつ、どこに行ってるんだろう?」と思っていた様です。夜は暗くなってから、家のそばの空き地で空手の練習をしてました。(受験勉強、どうなってたんだ?)
例によって、空手も本やテレビのイメージとはずいぶん違っていて、組手では防具をつけて打ち合ったりする流派でした。
でもこういったことがきっかけになって、後の鍛練的な”気功”や”気功治療に結びついて行きました。
不思議な気もするのですが、治療という事に興味を持ったにもかかわらず、お医者さんや医学部という事は心に浮かんできませんでした。
きっと東洋医学系や、”気功”の様な仕方をメインにする方が最初から自分には合っていたんだろうと言うより仕方がありません。
何やかやありましたが、大学を卒業して商社に勤めながら夜間の鍼灸学校に通いました。この時期に実技と一緒に、「経絡理論」「陰陽五行説」「素問・霊枢」などといった東洋医学を学びました。少数ですがそういった本の専門店もあり、鍼灸などの名人の話を知り,「あんな風に人を治療したり、治療した人から喜んでもらえたら・・。」と思ったりしました。
また、その頃武道の稽古で腰を痛めていたこともあり、一石二鳥という事で、有名だったり本で知った、あちこちの治療院に行って実際の治療を受けてみる事もしていました。
現在の自分の”気功”の直接のきっかけになったのは、その頃習った打撃系の武術でした。”気功”とは言われていませんでしたが、基本が今でいう鍛練的な”気功”でした。
傲慢な言い方ですが、基本以降の練習体系がどうしても納得できず、その頃には親友になっていた現在の東京の友人と一緒に、組手も含めてああでもないこうでもないをしながら練習をしていました。
週に何回かは鍼灸学校が終わった後の夜の公園でも練習をしました。その頃の友人は、見た目は穏やかだし、決して粗野な人間ではなかったのですが、友人や知人に気性の激しいことで知られているような人間でした。体はデカイし、組手は必死でした。
練習の後ホッとして、お腹を空かして夜遅く食べたサンマ定食の美味しかったことなど今でも覚えてます。
また、その武術の先生は年配の方でしたが心の広い方で,他で真面目に修行しているならそれはそれで構わないという風に接して下さいました。今から思うと随分図々しかったのですが、自分たちで修行して1年に1回かそこら、先生のご自宅を訪ねていろいろなお話を伺ったり、組手や基本を見て頂いたりしました。それは私が神戸に帰って来てからも、先生がお亡くなりになるしばらく前まで続きました。
鍼灸、指圧、あんま、マッサージの資格を取って、鍼灸学校を卒業した後、潮時だと思い会社を辞めました。また本からですが、その頃女性の鍼灸̪師で診断も治療も達人だと思った方を知りました。
治療を教えていらしたり、お弟子さんを取っているのなら、ぜひ仲間に入れて頂きたいし、その方の治療も受けてみたいと思い治療院を訪ねました。
残念ながら、現役を引退され亡くなられた直後でした。息子さんが院長をされ、その娘さんと一緒に治療に当たっておられました。お話をすると「残念だったねえ。」と言われ、「今どうしてるの?」と聞かれ、「そうなら、今職員が辞めたばかりだから、良かったら内弟子としてやってみない?」と言われました。私は決断が遅い方だったのですが、この時は「お願いします。」と即答していました。
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