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金峰山霊巌堂(熊本)

  • horiuchiclinic
  • 2020年1月9日
  • 読了時間: 4分

良いお正月を過ごされましたでしょうか。令和2年、最初のブログになります。本年もどうぞよろしくお願い致します。

元旦から2泊3日で20年ぶりに熊本へ遊びに行って来ました。晴天、寒さもほとんど感じない良い天候で、熊本に着いたその足で熊本城に行きました。

随分賑わっていましたが、熊本地震後の修復中で、崩れた石垣などが未だそのまま残っていて痛々しい感じでした。

20年前は黒くて男性的で重厚な印象を受けましたが、今回は天守閣の漆喰の白さ(補修で?)も眼につきました。

今まで見た城の中では熊本城が一番好きかも知れません。

翌日は車で阿蘇に連れて行ってもらったのですが、車道を走る橋が谷底に崩落している等、ここでも地震の跡が見られました。

聞いたのですが,阿蘇からの湧き水は熊本市内の地下にも流れているそうで、地震では地盤が緩いのと同じ状態になってしまったんでしょうか。

草千里からは、阿蘇山の白い噴煙が晴れた空に昇って行くのが良く見えました。

熊本の人は今もお正月によく凧を上げるのかな。立ち寄った道の駅の裏手にある広い広場で大人も子供もたくさんの凧を高く上げていました。凧揚げを見るのは久しぶりでした。

3日目に奥さん、小学生の甥と一緒に宮本武蔵が最晩年に「五輪の書」(愛読書の一つです)を書いた場所と言われている金峰山の霊巌堂(よほど武蔵に興味のある人でないと行かない所だと思います)に行って来ました。

20年前に来た時と同じで、路線バスは1時間に一本でした。それでも霊巌堂近くまで坂道を上ると小さな駐車場が出来ていて、霊巌堂に行く途中に何人かの人とすれ違いました。

岸壁の中腹にある浅い洞窟状の霊巌堂は20年前と変わっていませんでした。

20年前、始めて霊巌堂に来て感じた”気”は予想とは違って、青葉の様に若々しい”気”だったので驚いたのを覚えています。武蔵はこの霊巌堂が気に入って通ったり籠ったりしたのですから、病気を持っていた最晩年であっても老成や悟り等とは程遠い若々しい人だったのではないかとその時思いました。

今回訪れて感じた”気”も、若々しくて落ち着いたゆったりした”気”でした。(お堂の前に溶岩の塊の様なかなり大きな石が置いてあるのですが、そこからは熱の様な温かさを感じました。初めてハワイに行ったときに感じた”気”と似ていました。)

もっと長くいたかったのですが、バスの時間があるので残念ながら早めに切り上げました。

霊巌堂の帰り道、奥さんと小学生の甥は少し先にバス停に向かったのですが、方向音痴の私は道を間違えてしまいました(後で奥さんに「どっちか”気”で判断してみたら良かったじゃない。」と言われてしまいました。今度、試してみます。)

何やかやで、えらい遠回りになってしまいました。結局私はバスの時間には間に合わず、奥さんと甥は最終のバス(と言っても昼、午後の早い時間)で先に空港行きのバスターミナルに向かいました。

小学生の甥はマジで心配していたらしく、「信ちゃん、ここで野宿するの?」とか奥さんに聞いていたそうです(ホントに申し訳ない)。

あんなに焦ったのは久しぶりでした。あまり汗はかかない方なのですが、コートの内側まで濡れてましたし、舗装道路を割にぴったりしたスニーカーで下り続けて足の指先が痛くなりました。

後で見ると左右の親指の爪が内出血で黒くなっていて、腿や腰の方まで突っ張りが来ました。

それにしても地元の方達には親切にして頂きました。後で聞いたのですが、出発時間を延ばして待っていて下さったバスの運転手さんと乗客の方、道を尋ねると親切に対応して下さった方達。

最後に道を聞いた方には「どちらから来られたの?」と聞かれたので「神戸からです。」と答えると、「それじゃあ送って行かないと。」と言われて、わざわざ車でバスターミナルまで乗せて行って下さり、結局奥さん達より早くターミナルに着くことが出来ました。

ご迷惑をおかけしましたが親切にして下さり本当に助かりました。有難うございました。

色々ありましたが思いがけない形での良いお正月休みになりました。

 
 
 

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