「鬱」の終りと S先生 相棒Ⓦ
- 4 日前
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前回のブログで、私の「鬱」は殆ど解消したと書きました
今回このブログを書いていた時 精神的な「鬱」は全て無くなったと感じました(全ての意味を分って全てと書いています)
私自身と私の周囲全体の景色はとても明るい感じになりました
大げさかもしれませんが 比喩的な意味での「復活」が分かったと感じました こういう事を「復活」と言う言葉で表現したのだと思います
人の内面で起こった大きな変化はかえって周囲の人達に気が付かれない様です 私の場合も表面的には以前の私と何も変わらないので・・
私にとって一番親しい間柄の奥さんや相良さんもそれに気が付いてませんし 私と接する他の人達も勿論気付いていません 変化のあった事柄を備忘録的にいくつか挙げて置こうかと思います
* "ほりうち気功(気功の鍛練法や健康法その他の内容・気功治療の診断法と治療法)" 「ほりうち治療院」が変わりました
* 「鬱」のせいもあって人と話すのは気を使い若干億劫な部分があったのですが それが無くなっ た様でもっと積極的に人と話そうと思う様になりました
* 以前の様にまた絵画に興味を持つ様になりました
* 苦手ながら続けている英会話にもっと時間を割こうと思いました
* ブログを書くことが以前よりずいぶん楽にできる様になりました
* 青春時代の愛読書だったドストエフスキーの「未成年」の中に出てくる言葉
(若かったというか無邪気だったというか 本気でこの言葉を理解しないとオレの人生は先に進まないと思っていました) 「静かで落ち着いた力の意識」 という言葉の意味を心と体で気功的に理解出来と思います
* まだ会社員だった頃 課は違ったのですが同じフロアーで昼休みにふざけて電話をかけて来たりする女の子がいました 背が高くてグラマラスな綺麗で可愛い子でした
覚えているのは二人でデートした時の事です 会社での制服の時とは全く違ったすごいミニスカートだったので 周りの人は見てるし振り返ってるし 私は本当に慌てふためいてしまいました
「どうして彼女に恋しなかったんだろう?」と思って来ましたが やはりお互い若かったのと私の「鬱」などが原因だったのが分かった気がします 彼女は彼女のことだから今は幸せでしょう
* 気功武術の一人稽古は「実戦」での速さその他を尋常では無いものにするために ゆっくり動く 他から見ると動いていない 静止している様に見えるぐらいの早さで動く 練習があるのですが やはりこれが練習のキモなのが分かりました
* 気功武術で言う「実戦」は「試合」ではなく本気の倒し合いなので 今の時代の状況で「実戦」する事はまず無いと思いますが・・
「五輪書」を書いた宮本武蔵は最晩年の亡くなる直前まで(人には見せなかったでしょうが)牙を研いでいた様に思います
気功武術の鍛錬は私も死ぬまで続けて行こうと思いました 私は一体何を目指しているのか・・?
* ここまで書いて来て 私はまだ人や物に接する時「歯に衣を着せる・かぶせる」癖が残っていると感じました これからは なるべく「ありのままの自分」でいようと思います
この「気功」の基盤になった姿勢や動き(今ではずいぶん形が異なってしまいましたが)を教えて下さった明治生まれの武術の先生は 当時の武道や格闘技の世界ではかなり名の知られた方でした
初めてお会いした時には大分高齢になっておられたのですが 気性の激しいことでも有名で先生に初めて会った人は「こんなに気性の激しい人には出会ったことが無い」言われてました
こんな風に書くと かなり粗野な人の様に思われるかも知れませんが 実際の先生は厳しいよりもむしろ明るく 気性の激しさを表には出さない繊細でまた心の広い方でした
先生の言動を見て「昔の武士ってこんな人達だったのかな?」と思った事があります
実際 私たちに修行時代の話をされている時に「(自分は)武士として・・」と言われた事があります
武術の修行や戦争ではずいぶん苦労された様で 中国の戦線では白兵戦など何回も経験されたそうですし あまり詳しくは話されませんでしたが 軍の密偵として後方攪乱の仕事などもされていたらしく「一般の日本人は中国語が下手だった」と言われた事もありました
早朝の稽古が終わった後よく喫茶店で先生のお話を聞きました それは私たちの楽しみでしたが
周りの客など気にせずに話したり動いたりされるので 少しハラハラする事もありました
もっとも 客も従業員も知らん顔をしながら皆聞き耳を立てているのが分かりましたし 新聞を読んでいるフリをしている客には「アンタ新聞なんか読んでないだろう」と突込みを入れたくなる時もありました
戦中・戦後に「飢え」を体験された事もあるのか 喫茶店に座るとよく「お前 飯食ったか?」と聞いて下さいました 何だか「若い者はいつでも腹を空かせていると思ってるのかな?」な感じでした
毎回私たちの食事やお茶の代金は先生が全部払って下さって 私たちが払った事は一度もありませんでした さすがにマズイと思いましたが そんなことを言ったら怒られるのは目に見えていたので 有難くご馳走になってました
今でもちょっと信じられない様な話があります 私たちは日曜日の早朝に先生に直接指導を受け 他の曜日は自主練という形で修行をしていました
(当時の日本は土曜休みもなくサラリーマン達も長い時間を会社で過ごしていたせいもあったからだと思います)
私たち(10数人)は最初の頃 本当に不思議と言えば不思議なのですが 練習後の朝食やお茶代まで先生に払って頂いていたにもかかわらず 一人も先生に授業料を払ってませんでした!
誰も自分たちが授業料を払っていないことに気が付いてませんでした!
大分経ってから気がついて(焦った)一定の金額を個人個人で先生にお渡しすることにしましたが あれは一体何だったんでしょうか?
若い私たちに「君たちには分らんかも知れないが・・」と言った調子で武術以外の話も時々してくれました その中で一番印象に残っている言葉は 「君たち 今の時代は戦争もないし平和だと思っているかも知れないが 一生のうち3度は命に係わる出来事に出会うと思って生きなさい」です
阪神淡路大震災の時には 激しい揺れの中でこの言葉を思い出しました
それ以降 否応なしに自分はこの言葉と一緒に生活していると思います
相棒Ⓦとは当時東京の新宿にあった武道(流派は違いましたが)の道場で一緒に練習したのが初めての出会いです
最初の印象は「肩幅も広いし…でかいのにスムーズに動くな~」でした
練習の後一緒に喫茶店に行って話をしましたが 私服になるといかついけれど少し不器用な感じの男に見えました
見かけと違ってよく話す男だなと思いましたが 後で信頼できない相手には目も合わせないし 必要最低限の事しか話さない人間なのが分かりました
一緒に練習したので最初からお互いに少し心を開いていたのかな?
性格はずいぶん違っていましたが 始めから何となく気が合っていたのだと思います
それ以降 話をする時には 大抵は彼が話し手で私が聞き役という事が多い関係になりました
その頃の私は小柄で童顔 短気なくせに内向的でお人良しだったと思います
彼の性格‣気性ですが 人と接する時はたいてい穏やかで気を使いながら話している様な感じでしたし 私にも優しくはありましたが 私たちが習った武術の先生と似たところがありました
彼とはかなり長い付き合いでしたが 彼がビビったのを見た事は一度もありませんでした
その頃は「組み手」(打撃系の武道・武術の練習の一つで フルコンタクト 顔面攻撃は拳無しで掌底のみ 金的への攻撃禁止 突き・蹴りその他は自由)の練習は 明治神宮の林の中にある小さめの広場の様な所(練習は原則自然の中でするのと人目に付かないため)でランニングシューズにトレーナーという格好でしていました
最初の頃は「組み手」が本当に怖くて「組み手」の前の練習は気もそぞろでした 初めて組手をさせられた時の事は今でもはっきり覚えています
「組み手」は 一対一で 「組み手」をしている人の周りを皆が立ったまま囲んで見守る様な感じの中でしてました
腹を蹴られて唸っている人もいたし 戦い方はみな個性があるしで 怖さ半分・興味深さ半分で見ていました 「組み手」をさせられるのは半年ぐらい先だろうと思っていたので 比較的気分は楽でした
数組の「組み手」が終わった後「次!君と君」と言われて 自分としては突然だったので 思わず「僕ですか?」と聞いてしまいました
「そうだよ」と言われて嫌とは言えず(「組み手は嫌です」と言った勇敢な男もいたそうです)一人の先輩の人と向かい合いました
向かい合う前の短い時間 「ガーン」という感じでしたが 「必死にはなれなかったかも知れないが 今まで自分なりに一生懸命武道を学んだり自主練して来た ここでビビったら自分にどう申し開きするんだ」と思って 今思い出すと笑ってしまいますが 「KOされてもいいから せめてビビんないでくれ」と自分で自分に祈ってしまいました
この時も、阪神淡路大震災の時にも 思ったり 感じたりした事は 人間は危機的な状況
命に係わる様な出来事に出会った時には 既成の教えられた宗教の神に祈ったりはしない
頼ったりしないという事です
「組み手」が始まった時 (自分でも驚いたのですが)いきなりその先輩の脚に下段蹴りを入れてました 後はもう…シッチャカメッチャカ…と言うかシャモの喧嘩でした
「組み手」が終わった後 「自分の組み手 ずいぶん無様だったんじゃないかな?」と思っていたら
相棒Ⓦが「堀内さん 蹴りの脚なんか奇麗に伸びてましたよ」と言ってくれたので少しホッとしました
先生には半分笑いながらの様でしたが「君は技は無いが馬力はある」と言われました
「ダメとは言われなかったし 大したケガもしなかった見たいだし まあ良いか?」というのが初めて「組み手」をした後の自分の感想でした
長いブログになってしまいましたが 以上を書き終えたら 「これが自分の青春時代だったんだ」と思いました

何だか良くわからないブログになってしまいましたが 紆余曲折の半生を知っていただけましたでしょうか?
精神的にも、肉体的にも試行錯誤し 悩みながらたどり着いた治療法が〝ほりうち気功治療〟です
簡単ではありませんでしたが 皆さんと一緒にこれからも健やかに生きる術を探して行けたら幸いです
読んでくださった皆さん どうも有難うございました また治療院でお会いできるのを楽しみにしております
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