今年のテーマを決めたんですが・・・。
- horiuchiclinic
- 2021年2月16日
- 読了時間: 3分
更新日:2021年2月17日

今年のテーマを「豊かさ」にしました。(コロナで緊急事態宣言も出ている中ですが・・。)
「豊かさ」にしたものの、これってある意味一生涯のテーマですよね。それと、例のワトルズさんの方法とも重なります。
うーん。まあいいや。
「豊かさ」、、。ちょっと他の考え事をしている時、少し突き放した様な「好きにしたら?」というセリフを思い出しました。
心も体もお金もモノも人間関係も仕事の面でも、まあ全ての面でうまく行っている、全て有難いなあ、嬉しいなあ、感謝だなあと実感出来る様な状態の時でも、
その反対、にっちもさっちも行かない、俺(私)、もう駄目かもしれない、駄目だぞと思ってしまう様な状態の時、
どんなの状態の時にでも、「好きにしたら?」と言われて「そうする。」と返せたら、それも「豊かさ」なんだと思いました。ふ~ん。
”気”って力を持った法則のようなもの(素粒子等とも似ています)で、その法則を”向上の法則”と解釈してこの”気功”をしているのですが、言葉を変えて言えば「高み」を目指す方法の一つとも言えるかと思います。
宮本武蔵は、本来の「兵法」は剣術という技術だけの事ではない、「兵法」は「利方」(それをしていると、毎日の生活人生でいろいろ得になる方法の事)であって、自分の「兵法」は「利方」であるという事を言っています。
先に書いた「向上」や「高み」は、武蔵の言う「利方」と同義とも言えるかも知れません。
去年、母が亡くなったのですが、そのせいもあってか、ちょっとアホみたい?な事を思いました。
人生って卵から青虫(自分)が生まれて、それがやがてサナギになり、殻を脱ぎ捨てて次に蝶になるみたいなもんかな。
でもサナギになる青虫はそれを知らない。この世はサナギの殻までで、蝶はあの世(知らんけど)の存在かな?青虫も周囲もこの世では蝶になった自分は見れない事になっているのかも。
なら、せいぜい頑張って良いサナギになる様にするしかないな。ふ~ん。
”気功”ですが”気功”は”気功”です。時々「ほりうち気功」と書いているのは、ほりうち的な”気功”の仕方という意味です。”気功”は、する人の個性が随分はっきり出て来るので、”気功”をするその人的な”気功”になります。
武蔵の文章を読んでいると、武蔵の弟子達はそれぞれが個性的な戦い方をしたんだろうなと思えます。
武蔵と似た戦い方をする人から、武蔵とは似ても似つかない戦い方の人まで。
それと同じ様に、「豊かさ」も人やその時点で様々に変化のあるものなんでしょう。
武蔵は最晩年の「五輪の書」の中でも、「人を切り殺す時には、、。」とか「ただただ、相手が死ぬ様にと太刀を振るう。」とか随分物騒な事も書いています。
例のワトルズさんも、私なりの解釈(?)ですが、本当に「豊か」になりたいなら「豊か」になるための覚悟を決めなさい、それが生々しく感じられる程の具体的な目標を持ちながら行動しなさいとも言っているのだと思います。
自分の「覚悟」と「目標」は?
いつもの事ながら、変なブログになりました。失礼。
2
コメント