“気功研究会”・「気功法"(ほりうち的)」の基礎
- horiuchiclinic
- 8月31日
- 読了時間: 8分
8月16日(第土曜日)3時~4時半の予定で“気功研究会”を行いました。
酷暑の中参加して下さった皆さんどうも有難うございました。
今回の”研究会”前の30分ほどの「基礎講座」には 複数の初めて参加の方や基礎の再確認の方がありましたので「ほりうち気功」の基礎について書いてみました。

“気功法” 私たちが現在行っている気功法ですが その基礎・基盤についてもう一度書いておこうと思います。
”気功法・気功” という言葉名称は1950年代に中国の女性の治療家によって創られたと言われています。”気”を用いた技術という様な意味だそうです。
比較的最近に出来た言葉ですから東洋思想・医学の古典等には”気功”という言葉は見当たりません。
”気功”に似た技術・手段・理論は日本や中国など東洋だけではなく 欧米を始め世界中人がいる所には必ずと言って良いほど存在します。国や民族・個人・時代によって様々な形‣名称で存在します。
私の場合は”気功”という名称が比較的しっくり来たのでこれを使わせてもらっています。様々な"気功”がありますから「ほりうち(の)気功」です。「ほりうち治療院」という看板と同様です。
以下「ほりうち気功」の基礎・基盤です。
この気功は理論や実際の動作方法までとても日本的・東洋的です。
また具体的な実技動作手段の前に理論や考え方が来ます。
"気功”は意識考え方心の持ち様によって効果・結果が大きく異なる事になるからです。
最初に”気”という言葉の意味内容です。
私たちは物質世界を生きています。
物質としての身体があっての心‣精神です。
脳という物質が無ければ心も精神も無いと考えます。
私たちを含めた物質世界を構成している最小単位のものを東洋思想では”気”と呼んでいます。”気”そのものは最小単位のものですから勿論私たちの目で見たり身体で感じることは出来ない「もの」です。
物理学ではこの世界を構成している最小単位のものを量子とか素粒子と呼ぶそうですが その最小単位のものは非物質的なモノと物質的なモノという相反するものが一対・ペアで構成されているのだそうです。
洋の東西を問わず真理は一つという事でしょうか ”気”も「陰・陽」二つの相反するものが一対ペアで構成しているとされています。
東洋思想では「陰・陽」二つがあってこの世界に「法則」が出来「動き・働き」が生じるという言い方をします。
私たち人の最小単位のものは意志・思考という非物質的なモノと身体という物質的なモノという相反するものが一対・ペアになって出来ています。それによって法則・現象・働きが生じます。
プラス・マイナスがあってはじめての電気で電気の働きがあるのと同じ様なものです。
また「陰・陽」(プラス・マイナス・・)は対照的にあるのではなく常に非対称的で変化しています。ひと時も固定することなく変化し続けています。動いています。”気”が変化し続けているから私たちを含むこの物質世界は変化し続けます。
この”気功”は実技の前に理論や考え方が来ると書きましたが 実際に「気功法」をしたり ”気”で人や物・場 日々の出来事・将来などを「判定」する時などにも前提として意識的・無意識的に必ず心得ていなければならない事があります。
それは自分と他者(人・他の動植物 モノや自然を含む)との間には「区別」はあっても「差別」は無いという事 好き嫌い等の差はあっても「価値」の差は無いという事です。
日本の万物に八百万の神が宿るという考え方と似てますね。
私達を含む全てのものは”気”で構成されているという点で全て「平等」です。
好き嫌いの差・区別はあって当然ですが「価値」の差はありません。
これを考え方の基盤としてこの”気功”の実技(様々な「気功法」)は成り立ちます。
この考えを時々意識すると その時々で自分なりの楽で自然な「気功法」が出来る様になります。
実際に「気功」をしてみると分かりますが 効果・結果は私たちの好き嫌いや区別などに左右されませんし私たちにとって望ましい‣良い結果が出ても私たちの予想や期待とはずいぶん違った形である事も少なくありません。
それも「気功」の醍醐味?かも知れません。

身体の基本・基盤の姿勢は 仙骨の中心部を軽く伸ばす・立てる 顎の下端をほんの少し軽く浮かす(人が見てもからない程度)。
座っていても立っていても歩いていても 眠るときにでもこの姿勢を時々意識します(もちろん長い時間でも構いません)。
首や肩上半身に余分な力が入らない姿勢で首肩から下は充実した感じになりますが「心も軽く身も軽く…」と言った状態になれます。
丹田(上・中・下)という三つの精神と身体のポイントになる部分があります。
上丹田は眉と眉の間眉間の辺りで「精神」 中丹田は胸骨の中心からやや上の辺りで「気」 下丹田は臍下下腹部の辺りで「身体」を主としたポイントになります。
一般には下丹田が重視される場合が多い様ですが 「ほりうち気功」では中丹田の部分を”太陽”と呼んでいて心身や気功をする際の中心になる部分としています。
基本姿勢をとるとこの部分に何かふんわりした感じがします。
力みのないリラックスした明るい軽やかな感覚です。この状態で毎日を過ごせれば基本的にはずいぶん楽な状態で過ごせる様になると思います。
"気”(中丹田)から「陰陽」(上丹田・下丹田)・「陰陽五行」(様々な現象や働き)が生じると考えます。
「気功」をしている時(起きてから寝るまで・眠っている時も)の具体的な筋肉の動きは 気を出す・送る・巡らせるなどと言う言葉を使う様に 引くより押す・伸ばす伸筋が主になります。
気持ち‣精神で言うと積極的が主で消極的は従です。
かと言っても、頑張りや負けん気ではない伸びやかさです。
「基本姿勢」や”太陽”に気持ちを置く状態を時々とる様にすれば どんな状況・状態でも「気功」をしている状態で対処できる様になります。
”気”の法則は”気”的「向上(加速度的向上)」です。
”気”的「向上」ですから先に書いた「気功」の効果・結果と同じく 実現した「向上」も結果に十分に満足できるものであっても大抵自分がイメージしていたものや予想とは多かれ少なかれ違っています。
私たちは”気”によって創られたものであって 創られたものが創ったものを完全に理解することは困難なのでこういう差が出るのだと思います。
書いてきた事からお分かりかと思いますが 「気功」は念力や催眠術などとは違います。人やモノを自分の思い通りに動かそうとする訳ではありません。また倫理や道徳宗教スピリチュアル?とも関係しません。もちろん不動心や安心立命を求める手段でもありません。自分の意志・思考は有りますがそれにも捉われず開放する感じです。
「気功」の習い始めの動作ですが 「基本姿勢」をとって”太陽”の部分・辺りにふわっとしたものを感じながら軽く手を開いて左右の手の掌を向かい合わせます。指と指を向かい合わせても良いです。
無理しないようにしながら そのまま暫く手や指に何か感じるかを思います。その後何を感じるかを思ったり考えたりしながらゆっくり掌や指を近づけたり離したりの動作をします。掌や指どうしは触れない様にします。
掌や指に圧迫感やチリチリした感じ熱感などを感じたり(強く感じなくても問題ありません)手の感覚は無くても何か気持ちや体が楽な感じになったのが分かれば具体的な「気功」をする準備が出来たと考えて良いと思います。
「気功」をすることは一生懸命になったり集中したりする事とは違います。掴んでいた何かを解き放つ事や放念に近い感覚です。
どんな状況の中にあっても「気功」をする時は楽で楽しいのが一番効果があって自分や他者の為にもなります。
以上が座っている時など静が主になっている時の「気功」で 心身のリラックスを向上させて行きます。
次は立ったり歩いたりの動が主になっている時の「気功」で 中心線・バランス・体幹を向上させます。
具体的には足の第一趾足底線(足の親指の裏で踵に向かう線・足の親指の内側で踵に向かう線)に重心を置く様に意識して立ったり動いたりします。
以上の静・動を心身の基礎・基盤としながら行うのがこの「気功法」の基礎です。
実際の具体的な「気功」には様々な方法があります。
他者や自分に対する治療法・健康法・人や事物出来事に対する判定法・対処法また身心に対してかなり厳しい鍛練法としての「気功」など・・・
「気功」は広い意味の具体的な処世術の様な感じもします。
そしてそれらの土台(表であり奥である)になるのは 【気功の基礎】です。

長かったですね・・・ (-_-;)
最後まで読んでくださった方有難うございました。
暑い季節が続く中 私は結構不規則な生活も続けていますが夏バテもせず元気に毎日を過ごしています。
「気功」をしているお陰だと思います。
いつも言う事ですが 「気功」はご自分のペースでいつでもどこででも出来ます。
特別な道具もお金もいりません。
短時間でもすればご自分の心身の”向上”だけでなく 他の人を具体的に楽にしてあげる事も出来ます。経験されている方も多いと思います。
「気功」で暑い季節も元気で過ごしましょう。
先生、お世話になっています。
前回参加できず「ほりうち気功」
基礎・基盤からのお話をブログにあげて下さって改めて思い出すことができて私にとっては先生のブログは長いかもですが(笑)ありがたいです!
一生懸命になって必死に集中してする事とは違い、
「掴んでいた何かを解き放つ、放念に近い感覚」
「気功」は、広い意味での具体的な処世術のような感じ。
その土台(表であり奥である)になるのは [気功の基礎]
ありがとうございます😊